「がん患者のステレオタイプを覆したい」がん闘病する親たちの日常を伝える
病いと子供と私
10年前、39歳の若さでステージ4の大腸がんと診断された田中聡子さん(50歳)。がんは肝臓にも転移しており、手術と抗がん剤治療を受けるも再発し今度は肺にも転移。合計3回の手術と5年間にわたる抗がん剤治療を経て、現在病状は寛解している(前編リンク)。
発症当時4歳だった娘は、今では14歳に。田中さんはがんと闘いながら、どのように子どもとの時間に向き合ってきたのだろうか。後編ではこの10年間の育児について、そして闘病を通して見つけた田中さんの新しい人生について聞いていく。
がん患者であり、母親としての日常
ステージ4のがんと診断されたとき、田中さんは自分の人生がそう長くはないだろうと覚悟を決めたという。
しかし目の前には4歳になった愛娘がいる。生きるために懸命に治療に励むあいだも、母としての日常は否応なく続いていく。
抗がん剤治療の副作用で寝込むときは、家事は最低限に。体が動く時期には、保育園から帰宅した娘と遊んだり、今まで忙しさであまり手をかけられなかった家事を頑張った。自分ががんだからといって家族の日常を壊したくなかったからだ。
「必死になって日常を守っている感じでした。でも、最初は、心配して早く帰宅してくれていた夫もだんだん私が家にいることに慣れてくる(笑)。私も、つらさを家族に訴えつづけて困らせるのはイヤだったので、本当はしんどくてもできるだけ普通の顔をして過ごしている。どこまでがんばればいいのか。孤独と言えば孤独でしたね」
治療が長期にわたるようになると、少しずつ田中さん自身もペースを掴み始めた。そして、ある日田中さんはふと、娘が学校に行っている間に絵を描いてみよう、と思い立った。
「昔から絵を描くことは好きでしたが、仕事や出産、育児で忙しく、筆を持つ時間なんてなくなっていました。でも、いまは仕事も辞めてしまって時間がある。遠くない将来に死んでしまうかもしれないなら、娘になにかを残したいと思ったんですね。ただ愛されていたっていうこというだけは伝えておきたい。だったら絵を描こうと」
その日からほぼ毎日、田中さんは絵を描いた。描くのは決まって娘の姿だった。他の誰に見せる出でもなくただ黙々とひとり、やっとみつけた自由な時間に絵を描き続けていた。
成長していく娘の姿を絵筆で追い続けることが、はからずも田中さん自身のセラピーになっていった。治療を完全に終えてからは、夢だった絵画教室に通うことにした。
「私はもう病人じゃないという意識になって。でも会社も辞めて何もしていない。死ぬと思っていたのにまだ生かされている人生なんだからやりたいことを、と絵を習うことにしたんです」
田中さんは、今年、初めて50号の大型キャンパスに描いた絵を公募展に出展し、入選を果たした。美しく成長した娘さんが、りんごをふたつ手に持っている絵だ。タイトルは「選ばれるもの 選ばれぬもの」。自分が生かされた偶然を思って描いた、という。
チームで作った一冊の絵本
2016年4月、「キャンサーペアレンツ」というホームページが立ち上がる。子育て世代のがん患者ならではの悩みや苦しみを患者同士で共有し、つながり分かち合おうというコンセプトで生まれたものだ。
「ああ、こういうのがあるんだって思って。私はすでに治療は終わっていたけれど、登録してみたんです。サイト内ではみんな自分の日記を書けて、そこにお互いのコメントがつけられる。病名や病状だけでなく、住んでいる地域や子どもの年齢などでも会員の検索ができるので、横のつながりができやすくてこれは今までにないいいサイトだなと思いました」
次第にネット上で何度もコメントを交換しあい仲良くなる人が出てきた。そしてある日、そのうちのひとりの女性から「みんなで絵本をつくらない?」と声をかけてもらった。
「絵本は大好きだし、いつか描いてみたいと思っていたから、すぐに『やるやる!』って賛同しました」
「キャンサーペアレンツ絵本えほんプロジェクト」は、発案者Mさんの一声で開始された。日本中さまざまな地域に住む男女合わせて10数名のグループLINEができ、そのなかで、どんな絵本をつくりたいかみんなで意見を出しあった。
「すごく楽しかったですね。がん仲間だとつい病気や治療の話になってしまう。でも、そのLINEの中では『どんな絵本をつくりたいか』『どうやって作るか』『販売方法は?』と建設的な話しができる。辛さはお互いわかりあった上で、ひとつの夢に向かって行動できるのは、すごく心地よかったんです」
がん患者のステレオタイプを覆したい
だが当初、絵本づくりは難航した。リーダーのMさんらがいくつかの出版社に企画書を持ち込んだが、ターゲット層が狭すぎるなどの理由で、毎回却下されたのだ。「自費出版のほうが、みなさんの思いがそのまま反映された本になるかもしれません」とも言われたという。
「悔しかったけれど、そう言っていただけてありがたかったと思います。確かにがん患者で、しかも子供がいる人というと限られますよね。私たちは出版業界の事業に疎く、そんなこともわかっていなかった。それでも出したいと思えるようなものを自分たちでつくったかどうか、考えてみたんです。改めてキャンサーペアレンツとして本を出す意味や、どういうメッセージを届けたいのかを考え直すいい機会になりました」
全員が一致したのは、「当事者だからこそ作れる本にしたい」ということ。「がん患者のリアルな日常を描きたい」ということ。そして「病気の親をもって不安な子供たちが少しでもほっとできるものにする」ということ。
抗がん剤治療中の女性患者にとって、一番辛い副作用は「脱毛」だと聞いた田中さんは、自身の闘病体験にはなかった脱毛をメインテーマにして、もう一度シナリオを書き直した。イラストも自分で描きたいと仲間に申し出る。
「私が絵を描いていることはみんな知らなかったから驚いていました(笑)。2カ月ほどで仕上げ、サンプルをプロジェクトメンバー読んでもらいました。みんなすごく気に入ってくれて『母娘の会話がどれも”患者あるある”だね!』って言ってくれたんです。じゃあ、これを頑張ってもう一度売り込もう、と」
でき上がった絵本
『ママのバレッタ』は、抗がん剤で髪が抜けたママと娘の物語だ。悲しみや不安もあるが、やがてウィッグをつけておしゃれをし、時には一緒に出かけたり、冗談をいって笑いあったり、「髪がなくても楽しい」時間が描かれている。
「こんなに楽しそうなんてウソだと思われるかもしれません。もちろん笑えないくらい苦しいときもあるけれど、普通に笑うことだってあるんです。そのことを伝えたかった。がんや治療の知識を詳細に伝えることよりも、ただがん患者によくあるひとつの日常を前向きに描くことが、キャンサーペアレンツとしての役割だと思ったんです」
世間ががん患者に対して持っている「がん患者や家族はかわいそうな人」「髪が抜けたらすぐに亡くなってしまう」などといったステレオタイプを覆したかったという。
「私が絵も文もかいていますが、これはキャンサーペアレンツのえほんプロジェクトみんなの本。私は脱毛はしていないんです。でもそれでよかった。自分の体験ではなかったところが、自己満足に終わらず共感を得たんだと思います」
リーダーMさんらがサンプルをもって改めて営業に回り、本は無事、生活の医療社から出版できることになった。しかしMさん含め、チームの数人は出版を待たず、あるいは出版後まもなく、この世を去った。現在は、別のメンバーがプロジェクトリーダーを引き継ぎ、本の宣伝に飛び回り、今後も絵本シリーズを作成しようと健闘を続けている。
絵本を通して田中さんの人生は多くの出会いが生まれた。でも、相変わらず淡々と田中さんは言う。
「がんという病をきっかけに、たくさんのつながりを得られたことに、心から感謝しています。でも私にとっては家族との日常が一番大切。これからも好きな絵を描きながら、穏やかで充実した日々を生きられたらと思っています」
フリーライター。東京外国語大学卒業。翻訳書籍編集、育児雑誌編集等を経て、フリーに。現在は、家族、教育、仕事、障害、命などをテーマに、雑誌・ウェブマガジンに寄稿する。家族のコミュニケーションを探る「家族会議」を研究中。