「高いところへ 逃げてください」災害時だけじゃない ”やさしい日本語”を共生社会の共通語に
2019年は「やさしい日本語」情報が急増
「やさしい日本語」という言葉を聞いたことがありますか?「やさしい日本語」とは、外国人や日本語の読み書きが苦手な人、小さな子どもでもわかりやすい日本語のことです。阪神淡路大震災の際に日本語も英語も苦手な海外ルーツの方などが適切な避難行動をとれなかったり、情報弱者となり避難所等で困難を経験した経験から開発された言い換えの手法です。
例えば、「高台へ避難してください」といった一文を「高いところへ 逃げてください」と言うことで、より多くの方が理解できる情報となります。今、外国人の増加に伴って、このやさしい日本語への関心が高まっています。
2019年6月末の時点で、日本国内で中長期に暮らしている外国籍の方は約283万人。ここ数年、毎年10万人以上のペースで増えています。コンビニエンスストアやファストフードなどで見かける、外国人従業員の姿もすっかり身近になったという方も少なくないかもしれません。新聞、テレビ、ウェブメディアなどでも外国人に関する報道が増え、日本社会の中で存在感を増しています。
2019年の4月には、単純労働分野に外国人の方々を受け入れる新たな在留資格の創出を盛り込んだ、「改正出入国管理及び難民認定法」(以下、「改正入管法」)が施行されました。国も、これまで「地域やボランティアに丸投げ」と批判された受け入れ体制の整備に乗り出し、対策を講じる自治体も増えつつあります。
令和元年は、少しずつではあるものの、多様な人々が共に暮らす「共生社会ニッポン」への道筋が現実味を帯びてきた一年であったことが、この記事で取り上げるやさしい日本語の広がりからも垣間見えてきます。
それを強く実感させたできごとが、やさしい日本語での情報発信の増加です。
以前から、NHKのやさしい日本語ニュース「News Web Easy」や西日本新聞など一部メディアや自治体では取り組まれていましたが、情報量としては限定的でした。
しかし特に、今年の秋に大きな被害をもたらした台風発生時には、大手ウェブメディアや個人の方々が、日本語を母語としない方々に向けてやさしい日本語で書かれた記事を次々と公開。SNSではNHKニュースの公式Twitterアカウントがやさしい日本語でつぶやいたことが、話題を呼びました。
また、企業による日本語の取り組みも増加しています。そのさきがけとなった電通の「やさしい日本語ツーリズム研究会」に加え、2019年にはやさしい日本語で求人情報を発信する情報サイトが開設されたり、外国人社員とのコミュニケーション手段として企業向けのやさしい日本語講座が各地で開催されたりなど、経済活動との結びつきも生まれ始めています。
こうした取り組みの広がりを後押ししたとみられるのが、政府が令和元年に策定、閣議決定した「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」です。文字通り、外国人等との共生社会実現のために必要な施策として、やさしい日本語を活用推進が謳われています。まさに2019年、令和の最初の一年は「やさしい日本語元年」と呼ぶにふさわしい年となりました。
日本で暮らす外国人の6割は英語より日本語の方が理解できる
一方で、やさしい日本語という考え方への理解はまだ一般的に深まっておらず、SNS上では「そのくらいの日本語は勉強してから来日すべき」といった声や「英語で発信したほうがいいんじゃないか」といった声も少なくありませんでした。
やさしい日本語は、冒頭にもお伝えした通り、「日本語も英語もじゅうぶんに理解できない方々」が災害時に困った経験をもとにつくられました。国立国語研究所が行った全国調査では、62%以上の日本で生活する外国人が理解しやすい言葉として日本語を挙げ、44%は英語を挙げたそうです。日本で中長期に暮らしている方にとっては、英語よりも日本語の方が身近な言葉だということがわかります。
自治体の中には、情報発信や相談対応のために多言語翻訳アプリや通訳を導入しているところも増えています。ただ、昨年末の時点で日本国内に暮らしている外国籍の方々の出身は195の国と地域にまたがり、民族語などを含めると相当数の言語に上るためそのすべてに対応することは現実的ではありません。また、機械翻訳の精度は年々向上しているものの、まだ言語や文章によっては誤訳が生じることもしばしばです。
10月に各地に被害をもたらした台風19号通過時には自治体が発信した機械翻訳情報に誤訳があり、川に近づかないでくださいといった注意喚起が、逆に川の方へ逃げるようにと訳されてしまう事態が発生しました。
特に自治体にとって、災害時の住民に対する情報提供は重要な役割です。予算や体制が十分でない中でも、ちょっとしたコツで発信できるやさしい日本語であれば対応が可能だという自治体も少なくないでしょう。
英語圏の出身ではなく、災害時の複雑な聞きなれない日本語は理解できないけれど日常会話ならなんとか理解できる、という不特定多数向けた情報発信において、やさしい日本語という選択肢は大切な役割の一端を担っています。その重要性は、これから日本語を母語としない人たちが増える中で、いっそう増していくことになるとみられます。
やさしい日本語だけ推進しても不十分-場面に応じた使い分けと教育機会の保障が必要不可欠
とはいえ、やさしい日本語での情報発信のみが浸透すればよいのかというと、そうとは言えません。たとえば、外国人旅行客。日本国内旅行中は当然ながら、同じように災害に遭遇する可能性があります。さらに旅行客にとって、日本語はなじみのない言葉。いくらやさしい日本語で情報を発信されても、理解できない方は少なくないでしょう。
生活者の方にとっても、医療、福祉、教育制度など複雑な内容を理解しなくてはならない場では、やさしい日本語のみでは情報が不足したり、かえって誤解を招くような可能性があります。場面に応じて、専門通訳、専門翻訳、機械翻訳、やさしい日本語とそれぞれを使い分けたり、組み合わせてゆくことが大切です。
現在公開・発信されている「やさしい日本語」がどの程度「易しい」のか。そのレベルには統一の基準が存在していません。日本語を母語としない方の日本語力を証明する日本語能力試験の基準でおおむねN4~N3レベルのものが多くみられます(N5が最も易しく、N1が最も難しい)。N3レベルの場合は「日常的な場面で使われる日本語をある程度理解することができる」であり、N4レベルの目安は「日常駅な場面でややゆっくりと話せる会話であれば、内容がほぼ理解できる」程度の基本的な日本語理解力とされています。
メディアで言えばNHKのやさしい日本語ニュースはN3レベルを目安としており、西日本新聞社はN4レベルの日本語で情報発信を行っています。自治体やその他の媒体などが扱うやさしい日本語のレベルにはさらにばらつきがあり、中には、これはやさしい日本語とは言えないのではないかと思えるくらい難易度の高いものもあります。
筆者はふだん、海外ルーツの子どもや若者の日本語学習を支援しています。日本語を学んだことがないという10代の子どもたちは、平日5日間、毎日5コマの日本語を専門家と学びます。それを2カ月間(40日間、計167時間)集中的に行うことで、N4レベルの入り口から半ばくらいに到達するイメージです。
ここまで日本語の土台を作り上げていれば、そこから先はやさしい日本語を使って学校の数学や社会などの教科を学んだり、生活上の行為(友達との会話や買い物、電車での移動、テレビや動画を見るなど)を通して日本語力を高めていくことができます。来日直後の2カ月間の集中的な、専門家と学ぶ日本語学習がその後の日本語理解にとって大きな役割を果たしているのです。
この日本語の土台作りを行わないまま「耳だけで日本語を覚える」ことは、多くの子どもや若者にとって現実的ではありません。それは大人も同様で、文法学習を含む基礎を固めずに、まったく知らない言葉を学ぶことは至難の業にほかなりません。つまり、やさしい日本語を理解するためには、一定程度の専門的な日本語教育を必要とするということであり、その日本語教育機会の保障を行わないまま、やさしい日本語の活用のみを推奨していくのであることは無責任であるとすら言えます。
国任せでは間に合わない―2020年を地域の「やさしい日本語推進年」へ
現在政府は、2019年6月に施行された「日本語教育の推進に関する法律」を足場として、子どもや生活者の日本語教育機会の拡充に本腰を入れて取り組みはじめています。しかし、外国人増加のスピードが増す中で、対策が遅れており、間に合っていないのが現状です。教える人や教材の不足、不十分な仕組みと予算など、課題山積の状況が続くとみられています。
このように「受け入れ体制の整備」にはまだ多くの時間が必要ですが、それを待っている間にも、年間約20万人前後の新たな外国人生活者が来日し、地域で新たな生活をスタートさせています。外国人や海外にルーツを持つ方々の生活の多くの場面で、日本語の壁が立ちはだかることは、当事者だけでなく日常の生活空間を共有する地域の方々にとっても、混乱や行き違いを招きかねません。日本に中長期に在留する外国人は20代から30代も多く、地域の中での包摂が進めば、地域社会の活性化につながるだけでなく、災害時には共に助け合い、支えあってゆける心強い隣人ともなり得る存在です。
海外にルーツを持つ若者の力を借り、相互にとって暮らしやすい地域社会を作ってゆくためには、政府や自治体の「対策」を待つことなく、私たちひとりひとりが言葉の壁を取り払っていけるよう、主体的に取組んでゆく必要があります。そのためにはまず、地域住民同士として出会い、交流を深めてゆくことが重要です。そしてその「媒介」となってくれるのが、やさしい日本語の存在です。
「やさしい日本語」が地域の共通語となれば、日本語を母語としない人はそのレベルまで日本語を学び、日本語ネイティブも他言語を学ぶより容易にコミュニケーションを図ることが可能となります。やさしい日本語をお互いの歩み寄りの合流地点として活用してゆくことで、多様な人々と共に暮らす社会が、すべての住民にとって安心、安全な場となるよう、2020年を「やさしい日本語推進年」と位置付けてみてはいかがでしょうか。