新型コロナウイルス(2019-nCoV)による感染症の流行が日本でも懸念されている。中国ではマスクが飛ぶように売れていると伝えられているが、日本でもマスク需要は高まっていると言えるだろう。おりしもインフルエンザの流行期、また花粉症の季節にも重なっている。
マスク着用は感染症を拡大させないための「マナー」と言える。駒澤大学の山口浩教授はこれを、「ビール瓶の持ち方」や「コートの脱ぎ方」といった「マナー」を説くより重要かつ実践的なマナーだと説く。
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最近ネットでよく見かける謎マナーについては以前にも書いたことがあるが、しつこく取り上げてみたい。というのも、前のコラムで、世のマナー講師の皆さんに対して、「前向きな内容を発信していってもらいたい」と書いたのだが、それにうってつけのテーマがあることに気づいたからだ。
英国ヴィクトリア女王の都市伝説的な逸話
「マナー」という言葉は、いうまでもなく英語の「manner」からきている。辞書を引くといろいろ意味が出ているが、代表的なのは何かをする「やり方」と、社会生活においてより丁寧で適切と考えられる「エチケット」だろう。日本語では主に後者の意味で使われる。
ネットで「マナー」が話題になるのは、いわゆるマナー講師、もしくはその他のマナーを教える人たちの発言などが批判されるときだ。もちろん、それなりに文明化された社会において(そうでなくてもおそらく)、人間が社会生活を送る上で求められるマナーがある、ということ自体に異論はない。誰もがそれらをすべてマスターしているわけでもないだろうから、マナー教育にニーズがあるのもわかる。
ではなぜマナー講師たちが疎んじられるのかというと、ただ古いだけのしきたりや、現在では意味や根拠のない、ときには悪い影響すらある決まりごとをありがたがり、それらをただ守ればよい、守らないとペナルティを受けるぞ、といった脅しを添えて押し付けてくるように見えるからだ(そうでないマナー講師の方々もたくさんいらっしゃるとは思う。少なくともこの記事を読むような方はそうではないと思う)。
マナーの本質は、決まりごとを金科玉条のように守ることではない。それらはそもそも他者への配慮や思いやりのあらわれとして生み出されたものであって、何がそれにあたるかは文化や状況によって異なる。
今どうなっているかは知らないが、昔のマナー本にはよく、フィンガーボウルの逸話が載っていた。英国のヴィクトリア女王が、海外からの賓客をもてなすディナーの席で、その賓客が(おそらくはマナーを知らずに)フィンガーボウルの水を飲んでしまった際に、彼が恥ずかしい思いをしないですむよう、自らもフィンガーボウルの水を飲んでみせたという話だ。
調べてみるとさまざまなバリエーションがあって(その賓客の出身地はアフリカだったりペルシャだったりインドだったりいろいろで、海外の賓客でなく英国の一般人というバージョンもある。要するに西欧上流階級のマナーを知らない、彼らから見て「遅れた」人々ということだ。エリザベス2世と昭和天皇、というバージョンも見た)、事実かどうかもわからない都市伝説の類だが、言わんとするところはわかる。
客をもてなす場において、フィンガーボウルの水を飲んではいけないというテーブルマナーを守るより、その客が楽しく過ごせるよう配慮することのほうが大事だということだ。だからそのために必要であれば、マナーを破っても臨機応変にやればよいということになる。
「咳エチケット」は文化や状況を問わないマナー
では今、マナーとして広められるべき配慮や思いやりとは何か。それが「ビール瓶のラベルを上に向ける」や「コートを屋外で脱ぐ」でないことは明らかだろう。そんなことに気を遣っても誰も得もしなければうれしくもない。
グローバル化が進み、多様性と包摂を重んじる現代の文明社会において、王侯貴族でも外交官でもない(したがって外交上必要なプロトコルなど知らずともよい)私たちがすべからく行うべき配慮や思いやりとは何か。
いくつも考えられようが(それこそSDGsあたりからいろいろ引っ張ってくることはできるだろう)、中でもひとつ挙げたいのは、公衆衛生に直結する領域での配慮だ。
たとえば厚生労働省のウェブサイトにも出ている「咳エチケット」は、「個人が咳・くしゃみをする際に、マスクやティッシュ・ハンカチ、袖を使って、口や鼻をおさえること」である。インフルエンザをはじめとする咳やくしゃみの飛沫により感染する感染症を「他人に感染させないため」に求められるものであって、したがって「特に電車や職場、学校など人が集まるところで実践することが重要」である、としている。
咳エチケットの有効性は、文化にも状況にも依存しない。日本人のくしゃみはウイルスが含まれていないなどということはないし、インフルエンザに罹患していれば宮中晩餐会だろうが横丁の居酒屋だろうが咳は出る。単にしぐさとして丁寧だとか美しいとかではなく、実際に他人の感染リスクを軽減するというメリットのある配慮だ。
こうした配慮が必要な感染症といえば、典型的なものはインフルエンザだろう。毎年の季節性インフルエンザの感染者数は国内で推計約1000万人、直接的な死亡者数は約200~1800人ほど、間接的な死亡者数を含めると約1万人に上ると推計されている。殺人事件の被害者数が300人を下回り、交通事故の死者数が約3000人のこの国で、これがいかに大きな数字かわかるだろう。この他にも鳥インフルエンザや豚インフルエンザの人への感染が懸念されたこともあったし、風疹やHPV感染症なども人の健康に深刻な影響を及ぼしうる。対策の必要性は言うまでもない。
また今年に入って、新型コロナウイルス(2019-nCoV)による感染症が世界各地で拡大している。コロナウイルスということで、2002年から2003年にかけて流行し、世界で約8000人の感染者、800人弱の死者を出したSARSを想起する人も多いだろう。報道によれば、最初に感染者が出た中国では当該地域周辺を「封鎖」し、人の移動を制限するなどして感染拡大を抑え込もうと躍起になっている。まだ調査研究が進んでいるとはいえないが、SARSの経験を思い出せば、さらに広がっていく恐れは十分にある。日本ではまだごく少数の感染者が出たのみだが、今後どうなるかはまだわからない。
こうした新しいものも含め、感染症への対策として、多くの人々がマスクを着用している。マスクは、咳やくしゃみによる飛沫及びそれらに含まれるウイルス等病原体の飛散を防ぐ効果が高いとされている一方、感染防止にはあまり役立たないといわれる。とはいえ、着用の仕方が正しくない人が多い、マスクを長期間着用することで推奨されている予防方法を守らなくなっていく(いわゆるモラルハザードだ)などの問題が併せて指摘されている。そうであれば、これはまさにマスク着用のやり方(manner)の問題であり、また他人への気遣い(manner)の問題であるということになる。
「ワクチン接種への躊躇」は「世界的な健康に対する脅威」
つまり、感染症の広がりを少しでも抑えるために、私たちの「マナー」向上が求められているということだ。そうであれば、今こそマナー講師の皆さんの出番ではないか。発信力のあるマナー講師の皆さんが、医療専門家の適切な指導を受けたうえで(この領域はビール瓶の持ち方と違って、間違ったやり方には実害がある)、より身近でわかりやすい言葉で、正しいマスクの着用方法や手洗いなど、感染症リスクを減らすやり方(マナー)を強力に発信していくことは、公衆衛生の向上に効果があるかもしれない。
もちろん、ただマスクをすればいいという簡単な話ではない。厚生労働省は、インフルエンザの予防方法として次の5つを推奨している。どれかひとつをやればいいというのではなく、すべてを組み合わせることが必要だ。当然、マナー講師の皆さんは、これらも併せて「マナー」として強力に推進していただきたい。
1) 流行前のワクチン接種
2) 外出後の手洗い等
3) 適度な湿度の保持
4) 十分な休養とバランスのとれた栄養摂取
5) 人混みや繁華街への外出を控える
この中にマスク着用は入っていないが、マスクについては、「インフルエンザにかかったかもしれない」ときの対策として「咳やくしゃみが出るときはできるだけ不織布製マスクをすること」があって、むしろ咳やくしゃみによる他者への感染リスクを少しでも減らすための補完的な対策という位置づけであろう。とはいえ、正しい方法で着用すればまったく効果がないということもなかろうし、後述のように、外から見えるメッセージにもなる。
1)のワクチンに関しては、一部の人々にみられる「ワクチン接種への躊躇」が、気候変動やHIVと並んで、WHO(世界保健機関)による2019年版「世界的な健康に対する脅威」トップ10のひとつに選ばれているという事実を付記しておこう。ワクチン接種者が増えれば、その社会全体の感染症リスクを抑えることができる。いわゆる集団免疫だが、ワクチン忌避の人がたくさんいれば、効果は薄れてしまう。単なる個人の選択問題ではなく、社会に対する配慮や思いやりの問題でもあるのだ。その意味で、現代社会においてワクチン忌避は重大なマナー違反であるといえる。
当然、これは個人にとってだけ意味のあるマナーではない。感染症の広がりは企業にとってもリスクなのだから、これはビジネスマナーとしても意味がある。特に従業員の感染症への対処は、企業のリスクマネジメントとして重要なポイントだろう。感染症の広がりによって事業遂行に支障をきたしたり、大事な顧客を感染症リスクにさらしてしまったりするような企業がビジネスの相手として信用できるか、という話だ。
接客業従事者はマスクを
2019年12月、小売り大手のイオンは食品加工担当者など、一部を除いた従業員に向けて、接客時におけるマスク着用は原則禁止するという新方針を打ち出した。顧客にとって表情がわかりにくく円滑なコミュニケーションの妨げになる、風邪や体調不良のイメージを持たれ不安を抱かれる、などを理由として挙げている。
そもそも体調不良の従業員には接客をさせないという前提ではあろうが、感染予防のためマスクをしたいという従業員に着用を禁じるのは労働条件としてどうかと思うし、逆に従業員がマスクをしているほうが安心できるという顧客もいるだろう。
実際、1月27日になって、東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドは、東京ディズニーランド、東京ディズニーシーの両パークで、希望する従業員に対し、マスクの着用を認めると明らかにした。新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大を受けた措置であるという。企業側、顧客側ともに、意見が割れているようだ。
そうであれば、ここでもマナー講師の皆さんの活躍が期待される。社会が全体として、接客時のマスク着用を当然のものとして受け入れるようになれば、感染症のリスクも多少なりと減少することとなろう。
最も有効な対策がワクチン接種や手洗いであるとしても、これらは実際の接客時に見えるものではない。しかし、マスク着用は一見してわかる。潜伏期間にも感染力があることを考えれば、接客にあたる全員がマスクをしていてもおかしくはない。感染症抑止に対する総合的な対策をとっている企業の姿勢を象徴的に示すのが接客時のマスクであるとの理解が広がれば、むしろ安心の印ともなるかもしれない。
前掲のヴィクトリア女王の都市伝説でもうひとつ、重要なポイントがある。それは、マナーを変えることができるのは、それを真に理解し体現できる者だけであるということだ。女王がその晩餐会で自らテーブルマナーを破ることができたのは、主催者であり、かつその場で最も地位が高いからだ。一般の社会においては、マナーを熟知し、それを指導する立場にあるマナー講師の皆さんに、現代の「正しいマナー」として、感染症対策に有効なマナーを広めていただきたいのだ。
くりかえすが、これらはビール瓶の持ち方やコートの脱ぎ方よりはるかに重要かつ役に立つマナーだ。こうしたマナーであれば、マナー講師の皆さんの発信が炎上するリスクも大幅に減るのではないかと思う。