2019年11月3日日曜日

ベジタリアンから肉食に転向した女性

ベジタリアンから肉食に転向した女性。きっかけは妊娠中に食べたハンバーガー1個(オーストラリア)

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近年のヴィーガニズム(完全菜食主義)とベジタリアニズム(菜食主義)ブームは加速度を増し、植物由来のチキンナゲットバーガーをこぞってテスト販売するファストフード業界の動きも著しい。

 このブームの背景には、健康効果、動物保護はもちろん、畜産動物が温室効果の高いメタンガスを多く排出することによる環境問題に取り組むという理由もある。

 オーストラリアに住むある女性も10年間ベジタリアン生活を続けていた。だが第3子の妊娠をきっかけにして、そのライフスタイルが大きく変化した。

 妊娠中に食べた1個のハンバーガーがきっかけとなり、再び肉食生活に戻るだけでなく、現在は農場と肉屋を経営しているという。 

3児の母、妊娠中に食べたハンバーガーで肉食に戻る


 オーストラリアのビクトリア州に暮らすタミ・ジョナスさん(49歳)がベジタリアニズム(菜食主義)に目覚めたのは、19歳の時にピーター・シンガー著の倫理学書『動物の解放』を読んだことがきっかけだった。


 動物が畜産業界で残酷に取り扱われていることに嫌悪感を覚え、動物の権利についても大きな興味を持ったタミさんは、以降厳格なベジタリアンになった。

 しかし、第3子を妊娠中に過去2回の妊娠にはなかった重度の貧血に見舞われた。

 お腹の胎児のために、じゅうぶんなたんぱく質を摂取する必要があると思ったタミさんは、ある日、職場で漠然と「バーガーを食べればこの貧血は治るかもしれない」と思った。

 そしてバーガーを1個口にしたことで、ベジタリアンから再びの肉食主義へとライフスタイルが大きく変わることになった。

肉食主義者に転向した後、農場と肉屋を経営


 それからタミさんは、3人目を妊娠中は週に1度のペースで赤身の肉、つまり牛肉や羊肉を好んで食べるようになった。しかし、豚肉や鶏肉を口にするまでは数年かかったという。

 彼女は倫理的な考えからベジタリアンになったが、10年後に再び肉食主義に戻ったことについて、タミさんはこのように話している。

食物のために、動物の命を奪うことは不道徳だとは思いませんでした。私は、常に食物連鎖の中の自分の位置に満足しています。

でも、動物を残酷に扱ったり、外に出させて新鮮な空気を吸わせることを禁じたり、狭い小屋に多くの家畜と押し込めたりするのは不道徳だと思います。

 その後、タミさんは子育てをしながら夫スチュアートさんと動物の扱い方について研究し、動物を適切かつ倫理的に扱うことに焦点をあて、小規模ではあるがJonai Farms and Meatsmithsという農場と肉屋を経営することを決心した。



 もともとアメリカのオレゴン州の農家で育ったタミさん。間近で家畜業を経験していたこともあって、90年代に移住したオーストラリアでの農業には、さほど抵抗はなかったようだ。


「動物を殺害することが悪い」という線引きはしない


 現在、経営8年目になるタミさんの農場では、豚をメインに小さな群れの牛が飼育されている。


 そしてそれらの家畜は屠殺され、肉はタミさんの地域支援型援農業(CSA)の農場から、およそ80世帯に提供されている。
 有害な化学物質を一切使用せず、動物は農場で飼育されながらにして、解放された空間で自由に生きていると話すタミさんは、『動物の解放』にある倫理観をまさに事業に反映させているといっていいだろう。


 しかし、いずれの家畜も結局は殺されるまでが自由なだけであるため、どうしても動物の命を奪うという道徳的問題が疑問視されることになる。

 その点について、タミさんは次のように話している。


一部の人は、動物を殺害することが悪いという線引きをしますが、私はそのようには考えていません。

動物が(死ぬまで)良い生活を送ることができれば、消費のために動物を殺すことは非倫理的ではないと思うからです。

私が肉を再び食べるようになった時、「体が必要としていたものを口にすると健康的だ」と思えました。

ただ、その肉がどのような形で処理されたのかということには、いつも気にかけていました。そして自分が農場と肉屋を経営するようになった時には、すぐに豚の飼育から始めました。というのも、豚は特に畜産業界で扱われ方が酷いと聞いていたからです。

私は自分の農場では、消費者が倫理的な選択肢を選ぶことができる場を提供したいと思っています。


 

環境のために持続可能な畜産経営を目指す

 再び肉を食べるようになったというだけでなく、自ら肉を生産するというライフスタイルの大きな変化を起こしたタミさん。彼女の畜産経営のポリシーは、あくまでも持続可能であることと、家畜に敬意を払うことだ。

 屠殺される豚のストレスを少しでも軽減するため、これから死が訪れることを豚に悟られないようにし、恐れと痛みを感じることなく処理することが、「肉食主義者にとって最も正当化された方法」だとタミさんは語っている。そして敬意をもって「命いただきます」とおいしく食べることも。

 現在もベジタリアニズムをサポートし続けているタミさんは、ブームになっている植物由来の製品についても大いに称賛しているが、タミさんの望みは「有限の惑星で食べ物を得る最良の方法」を見つけることであり、自身の経営する農場が少なくとも気候変動の逆転もしくは緩和に繋がると主張している。

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乗り物酔いは5億5000万年前から受け継がれる「正常な反応」かもしれない




オーストラリアのコヴェントリー大学に博士研究員として乗り物酔いに関して専門的な研究を行っているスペンサー・ソルター氏が「乗り物酔いは5億5000万年前のカンブリア紀に誕生したはるか昔の祖先から受け継いだ『正常な反応』」だと解説しています。

Motion sickness: it all started 550 million years ago
https://theconversation.com/motion-sickness-it-all-started-550-million-years-ago-121789

「乗り物酔い」の原理とは、視覚から得られる情報と、内耳から得られる情報の間に齟齬がある場合に発生します。車内だけ見ると、車が動いていたとしても視覚的には自分も周囲も静止しているように見えます。しかし、内耳にある前庭器官は「体が移動している」と知覚し続けているため、視覚と内耳が得た情報に食い違いが生じ、乗り物酔いになります。ソルター氏によると、「乗り物酔いを経験するということは、前庭器官が正常に機能しているといえます」とのこと。

乗り物酔いにかかるのは人間だけではありません。犬、猫、馬、ネズミなどの哺乳類や、魚類、両生類など多くの動物が乗り物酔いにかかるそうです。ソルター氏によると、乗り物酔いする動物の共通の祖先とは、ヌタウナギヤツメウナギとのこと。


しかし、ヌタウナギやヤツメウナギから進化した生物だけが乗り物酔いを起こすわけではありません。カニ、ロブスター、ザリガニなどの魚類から独立して進化した甲殻類も乗り物酔いにかかるという逸話があります。

ソルター氏によると、生物における乗り物酔いが始まったのは、約5億5000万年前のカンブリア爆発からである可能性があるとのこと。カンブリア爆発は、カンブリア紀に起きた生物の大量発生のことで、カンブリア爆発によって現代の動物の祖先が多数誕生しました。カンブリア紀には環境中のカルシウム濃度と酸素濃度が上昇したことがわかっており、それによって生物の平衡感覚が進化したとのこと。ソルター氏は「カンブリア爆発で生じた生物が進化する過程において、乗り物酔いには『利点』があったため、受け継がれた」と主張しています。

ソルター氏は、乗り物酔いの利点は「揺れを検知する」ことだと語っています。海面に生じる波は、海の中にまで震動を伝え、海洋生物に影響を与えます。研究によると、タイ科の一種は波が強い場所から移動するという性質があるとのこと。「魚が船酔いするのは、自分の体が危機にさらされていると自覚するためだと考えられます」とソルター氏は述べています。

陸上でも揺れが危険を教えてくれる場合があります。人類に近い祖先であるチンパンジーは、樹上性の生き物です。枝や幹の太さに応じて、「揺れる木」と「揺れない木」が存在します。ソルター氏は「揺れを検知する乗り物酔いというシステムによって、登ると危険が大きい『揺れる木』を避けるようになり、死のリスクが下がった可能性があります」と述べています。


ソルター氏は、「乗り物酔いは人類の祖先から続く正常な反応です」と述べ、「人類が馬や車、ボートなどに乗るようになったのは、人類史からみるとごく最近のことです。それゆえ、我々の感覚システムは新しい技術や環境に適応できていません」と語っています。

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