2019年12月19日木曜日

自閉症の子供たちが穏やかな環境でサンタに会えるように。

自閉症の子供たちが穏やかな環境でサンタに会えるよう、アメリカとカナダのショッピングモールが早朝オープン

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クリスマスが近づくこの時期、各地のショッピングモールはクリスマスショッピングをする人たちで混雑し、騒々しいものになることだろう。

 特に欧米のショッピングモールでは、今季の特別イベントとしてサンタクロースのグロットが配置され、子供たちがサンタと記念写真を撮ったりして楽しいひとときを過ごすことができる。

 しかし、サンタに会いたい子供たちの中には感覚障碍を抱える自閉症や自閉症スペクトラム(アスペルガー)の子供たちもおり、賑やかな場所では感覚が過敏になり苦痛に感じてしまう。

 そんな子供たちのために、非営利団体組織がアメリカとカナダのショッピングモールを早朝オープンする企画を実施した。

 そのおかげで、自閉症の子供たちは混雑していない静かなモール内で、思いっきりサンタとの時間を過ごすことができるという。






早朝オープンのモールでサンタのイベントが開催

自閉症や特別支援を必要とする人々をサポートする非営利団体Autism Speaksは、アメリカのニュージャージー州にあるCherry Hill Programsの協力を得て、アメリカとカナダのショッピングモールで「サンタ・ケア」と呼ばれるイベントを開催した。



 今年はこれまでにない規模となり、747件の同イベントがアメリカとカナダの582ものショッピングモールで11月から開催されているが、このイベントの特徴はショッピングモールが早朝にオープンされることだ。


 混雑したモール内では、感覚障碍を抱える自閉症の子供たちはサンタと過ごす時間さえも苦痛に感じてしまいがちだ。そこで、この2つの組織が早朝オープンするモール内で、自閉症の子供たちのために、特別にサンタのイベントを開催するというわけだ。




穏やかな環境で子供たちはサンタとのひとときを楽しめる

 特別な支援を必要とする子供たちが、モールにいるサンタへの訪問をより楽しめるようにと、2組織はモール内の照明を普段のオープン時よりも少し落とし、低音で音楽を流すよう試みている。
また、サンタ自身も自閉症の子供たちと交流する方法について事前にトレーニングを受けており、子供たちが静かな環境で楽しめるよう配慮している。



 Autism Speaksの副社長であるヴァレリー・パラディスさんは、この企画について次のように語っている。


私たちの目標は、自閉症の人々のためにより包括的な世界を作っていくことです。このようなイベントでは、自閉症の子供を持つ家族全員が快適に感じ、子供たちの症状を理解され、受け入れられていると感じることができ、それはとても大きな意味をもつと信じています。

 音の取捨選択が難しく、全ての音を過敏に感じ取ってしまう自閉症の人々へ向けた店の取り組みは世界でも広がりを見せている。

 2017年にはオーストラリアのスーパーマーケットが自閉症や自閉症スペクトラムを抱える人々のために、1時間、音や光を抑えた時間帯の設定を開始した。

http://karapaia.com/archives/52244942.html










タイで行った“東日本大震災の死者を弔う祭り”

日テレ24時間テレビに重大なヤラセ疑惑 タイで行った“東日本大震災の死者を弔う祭り”は金を払って人々を集めたデッチ上げだった!
チェンマイ県「N」町にて。放送された箇所をくまなく回った

「コムローイ? ああ8年か9年前に日本のテレビ局がここへ来て、たくさん上げていったよ。津波で亡くなった人を弔うだって……? いいや、そんなんじゃないね。確か、新しいコムローイ製品のプロモーションか何かでたくさんの人がここへ集められたんだよ!」
私たち取材班は、タイの北部・チェンマイ県「N」という町に来ていた。古都チェンマイの中心地から南へ車で約90分ほど走ったところに、その町はある。細い対面二車線の田舎道沿いに固まるように、町は細長く形成されていた。産業は主に農業だと思われるが、道路沿いには小さな食堂やカフェ、学校や寺院とタイの田舎ならではの風景があった。
その中に、コムローイを作る小さな店がある。コムローイとは、タイの北部で行われる祭りで使われる、火を灯し夜空に向けていっせいに放つ紙製の灯籠のことである(写真2)。主に11月の「ロイクラトーン」に使われる。大小の大きさがあり、小さいものなら5つで100バーツ(約350円)、中くらいのものなら3つで100バーツ、大きいものは1つで50バーツ(約175円)程度のものだ。

この小さな善意の店を利用し、壮大なフェイク番組が作られたとは一体誰が想像できただろうか

日本が世界からもらった力?

2011年3月11日、日本では未曾有の大災害が起きた。言うまでもなく、「東日本大震災」である。1900年以降、マグニチュード9.0に達する地震は世界で4回しか起きておらず、誰もその被害の大きさを予想できなかった。死者は15,511名、建物被害は全壊・半壊・一部損壊を合計して620,802戸というとてつもない数に上っている(文部科学省発表)。あの、真っ黒い津波が港へ押し寄せてくる映像は日本人だけでなく世界中が忘れられないだろう。
その年の8月、日本テレビのチャリティー番組『24時間テレビ』は、東日本大震災で亡くなった方々の冥福を祈るため「あの日、日本が世界からもらった力」と題して、女優・黒木瞳が日本への支援を表明した国を訪ねる海外リポートを“番組内ドキュメンタリー”として放映した。
「東日本大震災では世界からたくさんの支援を頂きました。私はその方々と直接お会いして、人と人との絆、その力について考えてきました」
黒木瞳はこのように冒頭で語り、VTRに入るが、彼女が言う『世界から』というのはナレーションベースでさらっと触れただけで、どうやら“タイのみ”に行ってきたようだった。
そのタイで、黒木瞳は身体に直接白い文字で「HELP JAPAN」と書かれた象を使って日本のために募金活動を行ってくれたアユタヤ県知事を表敬訪問したり(彼女はそのことを「お化粧」と言った)、「多くの住民の収入は1日数百円ほど」というバンコク最大のスラム街(と言われる)クロントーイ地区では日本の状況を聞いたみなさんがお金を届けてくれたとして、その活動の中心となったドゥアン・プラティープ財団の代表と対談したりしている。
「これまで私たちが、どれだけ日本の人たちに応援していただいたことか。ですから、ほんの少しかもしれません(中略)それでも日本の方たちに気持ちを伝えたいのです」とプラティープ氏は語る。恐縮しきりの黒木瞳は「日本以外の方々が日本のためにお祈りしてくださってるのを見ると力になりますね」と返した。ここで、財団代表の女性は言う。
「いいえ、私たちこそが試されているのです。困った人たちがいるときに、迷いなく動けるか! 強い心持たなければなりません」
黒木瞳はこの言葉に感銘を受けたようで「潔い支援の形だ」とロケバスの中で語った。しかし、次の瞬間、それがどう繋がるのか「私たちはタイの人々と共に、復興への祈りを捧げることにしました」と言い出し、とある垂れ幕が大写しになる。そこにはこう書かれていた。
【PRAY FOR JAPAN(日本のために祈りましょう)】
ここからが、今回我々取材班が問題視している場面になる。

黒木瞳による海外リポートの全貌

夜空に舞うコムローイ。タイ北部で11月に行われる祭りだ(写真2)
2011年8月、24時間テレビが番組内ドキュメンタリーとして放映した黒木瞳の海外リポート企画「あの日、日本が世界からもらった力」は、タイ北部のチェンマイ県「N」町へ行き、同国の伝統行事である燈籠飛ばし(コムローイ上げ)を敢行し、東日本大震災で亡くなった人々を弔うという一大イベントをぶち上げた。
黒木瞳が町へ到着すると、既に日本のためのボランティアとして、工場のようなところでコムローイを製作してくれている大勢の女性たちがいた。巨大なコムローイを、油を染み込ませたトイレットペーパーを熱源に空へ飛ばすことを知り驚く黒木。女性たちだけでは作業が追いつかないので、小学校の生徒がボランティアとして総出でコムローイ作ってくれていることに感動する黒木。児童たちは疲れた顔をして皆が黙々と作業をしていた。「この時、みんな日本に思いを馳せてくれていた」と黒木は言う。そしてなぜか、「打ち上げは今夜」とナレーションが入る。ギリギリまで数が足りていないのに、黒木瞳が訪れたのも打ち上げギリギリだったようだ。しかも、季節は雨季。直前まで雨が激しく降り、会場となった町の運動場はドロドロに荒れていたのである。
「晴れてます! 星が出てます!」
午後8時、会場入りした黒木は偶然雨が上がったことを「瞳パワーもあって…」と喜んでいた。そしてそこには約4000人の地元の人々が集まったという。人々は言われるままにコムローイを飛ばす準備を始め、トイレットペーパーに火を灯していく。それは「日本の復興を願う希望の光」だとテロップが出る。黒木瞳がマイクで叫ぶ。「ヌーン(1)、ソーン(2)、サーム(3)!」。いっせいに夜空へ舞い上がるコムローイは圧巻、さすがタイの伝統行事である。8000個の燈籠飛ばしなど日本では実現不可能だろう。温かみのある炎がゆらゆらと闇夜を漂う光景は、ただただ美しいとしか言いようがなかった。ワイプに映るベッキーや関ジャニ∞の面々の目にも光り輝くものが見えた。「祈りを込めて飛ばしてくださって、きっとこの想いは日本に伝わると思います」。黒木瞳は夜空を見上げながらそう言ったのだった――。
冒頭のセリフは、我々が町へ着いて一番最初にインタビューをした女性の言葉だ。
「だから、あのイベントは一人100バーツくれるって言うから、みんな集まったんだよ!」

灯籠を上げる人々を『雇った』

我々は耳を疑った。通訳にもう一度聞いてくれと頼んだ。しかし答えは同じだった。このコムローイ飛ばしに集まった4000人全員が、ギャラを貰って参加していたというのである。一体どういうことなのか? さらに、町の食堂にある屋台カフェの女性が言う。
「すぐそこにあるコムローイ屋と町役場が協力してやったイベントだよ。そこに日本の撮影隊が来てコムローイの映像を撮っていったのさ」
それを聞いていた別の女性が割って入る。
「8000個も上げるには人手が必要だろ? だから金で人を雇ったんだよ。いくらだったかな、確か100バーツだったかな」
よく顔を見てみると、その女性たちは歳は取っているものの、8年前の番組でコムローイを製作していた面々だった。彼女は番組の中で「過去は変えられない、けれど、未来は変えられるはずです」とコメントしていたのだが、あのテロップは全くの嘘だったのだろうか?
私たちは次に、番組内で女性たちがコムローイを作っていた工場に向かった。その場所のすぐ横で飲み物を売っている女性に話を聞いてみた。
――ここに昔、日本のテレビ局が来て、コムローイを飛ばしませんでしたか?
「覚えてる、覚えてる、ここで作ったんだよ」
――あ、ここで合っているんですね。ここはコムローイ工場なんですね?
「いや違う。場所がないからここを貸したんだ」
――え? あのー、その時は何のためにコムローイを上げたんですか?
「知らない。コムローイを知ってもらうプロモーションじゃないかな」
――プロモーション? あれ…日本の津波での被害者のためではなかったのですか?
「あ~、それもあったのかな。ツナミ。わからない」
――その時、お金はもらいましたか?
「もらったよ、住民が。名簿も作ったんだ。名簿に名前を書いて来た人をチェックしたんだ」
――その人々は、一体どうやって集めたんですか?
「日本のテレビ局が先生にお金を渡して先生が集めたんだよ。この家の家主だよ」
どうやら我々はとんでもないものにぶち当たってしまったようだった。急遽、ネットが繋がる所に入り、その日の宿を取らなければならなくなった。

イイ画さえ撮れればそれでよい

それからしばらく町に滞在し、多くの住民の証言によって分かったことは以下のとおりだ。
・日本のテレビ局がここに来てコムローイを上げたことは確かだ
・しかし何の目的かは分からない。住民たちはお金で雇われた
・本来、24時間テレビが撮影を敢行した雨季にはコムローイを上げない
・上げないどころか、この町にはコムローイを上げる風習がない
・そもそも航空管制局によりコムローイが禁止されているエリアである
非常に無理が生じている……そう思うのは、現場で呆然とした我々取材班だけではないはずだ。すでにここまで読んでいただいた方々の脳裏にあるのは「日テレ…またヤラセか」という文字だろう。日テレの『イッテQ』が、アジアで有りもしない祭りをデッチ上げたという事件があったばかりだが、どうしてこうテレビは懲りないのだろうか。
だが、問題は単なるヤラセでは済まない。
なぜならこれはバラエティ番組ではなく「24時間テレビ」である。チャリティー番組が金で人々を買収して感動物語を作っていたとなると話が違ってくる。この『ヤラセ疑惑』は、大きく2つの問題をはらんでいる。
最も重要なのは、タイの人々を愚弄しているという点だ。番組内では、あたかも「N」の人々がボランティアで日本のためにコムローイを作って上げてくれたように紹介されているが、お金を払って目的も伝えていないのであれば、大問題である。彼らにとって大切な伝統行事を自分たちの都合の良いように「利用」したということになる。町の人々は単にアルバイト感覚で手伝ってくれていただけなのだ。「日本の復興を願う希望の光」などと、どうして言えようか。
もう一つは、東日本大震災による死者への愚弄だ。あんな地獄みたいな災害が起こったその年に、こともあろうにヤラセ番組で「死者を弔う」とは、責任者は死んで侘びても許されないのではないだろうか。重要なことなのでもう一度書くが、これは2011年8月、あの大震災から5ヶ月後に放送された番組なのだ。異国タイで、目的も伝えず、ただ灯籠に火をつけた映像を撮り、死者を弔うとは……一体どのような教育を受けたら、このような発想が出てくるのだろうか?

取材した内容を元に日本テレビへ内容証明にて質問状を送った。

日本テレビからの回答は…

【PRAY FOR JAPAN(日本のために祈りましょう)】
そう書かれた垂れ幕のそれ以外のタイ文字を翻訳するのには時間がかかった。なぜなら映像では一瞬しか出てこない上に、24時間テレビはなぜかこの垂れ幕の上にテロップを入れているからだ。だが、今回なんとかここを訳すことができた。それはこのような内容だった。
『日本テレビジョンネットワーク株式会社
「N」町役場 共催
参加者募集
8078個のコムローイ飛ばし
チェンマイ県「N」町運動場にて』
お分かりだろうか? ここにははっきりと日テレと町役場が共催であることが書かれ、さらに「参加者募集」という文字も書かれていた。つまり、ボランティアで日本のために人が集まったわけではなくて、「集めた」ことを意味している。
そして、取材の中で徐々に分かってきたことは、日テレ側と「N」町役場を繋ぐ『タイ在住の日本人』の存在があることに加え、町役場側で主に暗躍していた人物は我々が訪ねた「偽装工場」の家主であることだった。その家主は、町の人から「先生」と呼ばれて慕われている。彼は「住民にお金をくれるなら」ということで、町にある小さなコムローイ屋に話を振ったわけである。
それがこの店の悲劇へと繋がるわけだが、詳細は次回『第二弾』へと譲ろう。

日本テレビの回答は、こちらが3つの具体的な質問を用意したにもかかわらず以下のもののみだった。

(回答)
「この企画は趣旨にご賛同いただいた地元の方々の協力があって、成立したものと考えております」
以上
日本テレビ社長室広報部

「この企画は趣旨にご賛同」というのは、今もなお苦しむ方がいらっしゃる『東日本大震災の被災者を悼む』という企画のことだろうか? それとも『コムローイのPRのためにバイト代を出すから集まって打ち上げてくれ』という企画の事だろうか。いずれにしても、このようなふざけた回答を寄越すとは随分と舐められたものだ。
この回答を見て、私たちはこの捏造疑惑をもっと掘り進めなければならないという考え方に変わった。ただ、猛省を促すことができれば…そういった我々の思惑は甘かったようだ。そういうわけでヤラセ疑惑は第二弾へと続く。
本編集部では、日本テレビに対し、「もっと真摯に、真面目な回答を」と、再度検討して頂くことを打診している。
最後に、前出のドゥアン・プラティープ財団代表の言葉を借りたいと思う。
日本テレビさん、試されているのはあなたです。素直に認めることが出来るか、強い心が必要です。

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