2020年2月5日水曜日

現代の「マナー違反」

マスクとワクチンを軽視することこそが現代の「マナー違反」
マスクとワクチンを軽視することこそが現代の「マナー違反」の画像1

新型コロナウイルス(2019-nCoV)による感染症の流行が日本でも懸念されている。中国ではマスクが飛ぶように売れていると伝えられているが、日本でもマスク需要は高まっていると言えるだろう。おりしもインフルエンザの流行期、また花粉症の季節にも重なっている。
 マスク着用は感染症を拡大させないための「マナー」と言える。駒澤大学の山口浩教授はこれを、「ビール瓶の持ち方」や「コートの脱ぎ方」といった「マナー」を説くより重要かつ実践的なマナーだと説く。
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 最近ネットでよく見かける謎マナーについては以前にも書いたことがあるが、しつこく取り上げてみたい。というのも、前のコラムで、世のマナー講師の皆さんに対して、「前向きな内容を発信していってもらいたい」と書いたのだが、それにうってつけのテーマがあることに気づいたからだ。

英国ヴィクトリア女王の都市伝説的な逸話

 「マナー」という言葉は、いうまでもなく英語の「manner」からきている。辞書を引くといろいろ意味が出ているが、代表的なのは何かをする「やり方」と、社会生活においてより丁寧で適切と考えられる「エチケット」だろう。日本語では主に後者の意味で使われる。
 ネットで「マナー」が話題になるのは、いわゆるマナー講師、もしくはその他のマナーを教える人たちの発言などが批判されるときだ。もちろん、それなりに文明化された社会において(そうでなくてもおそらく)、人間が社会生活を送る上で求められるマナーがある、ということ自体に異論はない。誰もがそれらをすべてマスターしているわけでもないだろうから、マナー教育にニーズがあるのもわかる。
 ではなぜマナー講師たちが疎んじられるのかというと、ただ古いだけのしきたりや、現在では意味や根拠のない、ときには悪い影響すらある決まりごとをありがたがり、それらをただ守ればよい、守らないとペナルティを受けるぞ、といった脅しを添えて押し付けてくるように見えるからだ(そうでないマナー講師の方々もたくさんいらっしゃるとは思う。少なくともこの記事を読むような方はそうではないと思う)。
 マナーの本質は、決まりごとを金科玉条のように守ることではない。それらはそもそも他者への配慮や思いやりのあらわれとして生み出されたものであって、何がそれにあたるかは文化や状況によって異なる。
 今どうなっているかは知らないが、昔のマナー本にはよく、フィンガーボウルの逸話が載っていた。英国のヴィクトリア女王が、海外からの賓客をもてなすディナーの席で、その賓客が(おそらくはマナーを知らずに)フィンガーボウルの水を飲んでしまった際に、彼が恥ずかしい思いをしないですむよう、自らもフィンガーボウルの水を飲んでみせたという話だ。
 調べてみるとさまざまなバリエーションがあって(その賓客の出身地はアフリカだったりペルシャだったりインドだったりいろいろで、海外の賓客でなく英国の一般人というバージョンもある。要するに西欧上流階級のマナーを知らない、彼らから見て「遅れた」人々ということだ。エリザベス2世と昭和天皇、というバージョンも見た)、事実かどうかもわからない都市伝説の類だが、言わんとするところはわかる。
 客をもてなす場において、フィンガーボウルの水を飲んではいけないというテーブルマナーを守るより、その客が楽しく過ごせるよう配慮することのほうが大事だということだ。だからそのために必要であれば、マナーを破っても臨機応変にやればよいということになる。

「咳エチケット」は文化や状況を問わないマナー

 では今、マナーとして広められるべき配慮や思いやりとは何か。それが「ビール瓶のラベルを上に向ける」や「コートを屋外で脱ぐ」でないことは明らかだろう。そんなことに気を遣っても誰も得もしなければうれしくもない。
 グローバル化が進み、多様性と包摂を重んじる現代の文明社会において、王侯貴族でも外交官でもない(したがって外交上必要なプロトコルなど知らずともよい)私たちがすべからく行うべき配慮や思いやりとは何か。
 いくつも考えられようが(それこそSDGsあたりからいろいろ引っ張ってくることはできるだろう)、中でもひとつ挙げたいのは、公衆衛生に直結する領域での配慮だ。
 たとえば厚生労働省のウェブサイトにも出ている「咳エチケット」は、「個人が咳・くしゃみをする際に、マスクやティッシュ・ハンカチ、袖を使って、口や鼻をおさえること」である。インフルエンザをはじめとする咳やくしゃみの飛沫により感染する感染症を「他人に感染させないため」に求められるものであって、したがって「特に電車や職場、学校など人が集まるところで実践することが重要」である、としている。
 咳エチケットの有効性は、文化にも状況にも依存しない。日本人のくしゃみはウイルスが含まれていないなどということはないし、インフルエンザに罹患していれば宮中晩餐会だろうが横丁の居酒屋だろうが咳は出る。単にしぐさとして丁寧だとか美しいとかではなく、実際に他人の感染リスクを軽減するというメリットのある配慮だ。
 こうした配慮が必要な感染症といえば、典型的なものはインフルエンザだろう。毎年の季節性インフルエンザの感染者数は国内で推計約1000万人、直接的な死亡者数は約200~1800人ほど、間接的な死亡者数を含めると約1万人に上ると推計されている。殺人事件の被害者数が300人を下回り、交通事故の死者数が約3000人のこの国で、これがいかに大きな数字かわかるだろう。この他にも鳥インフルエンザや豚インフルエンザの人への感染が懸念されたこともあったし、風疹やHPV感染症なども人の健康に深刻な影響を及ぼしうる。対策の必要性は言うまでもない。
 また今年に入って、新型コロナウイルス(2019-nCoV)による感染症が世界各地で拡大している。コロナウイルスということで、2002年から2003年にかけて流行し、世界で約8000人の感染者、800人弱の死者を出したSARSを想起する人も多いだろう。報道によれば、最初に感染者が出た中国では当該地域周辺を「封鎖」し、人の移動を制限するなどして感染拡大を抑え込もうと躍起になっている。まだ調査研究が進んでいるとはいえないが、SARSの経験を思い出せば、さらに広がっていく恐れは十分にある。日本ではまだごく少数の感染者が出たのみだが、今後どうなるかはまだわからない。
 こうした新しいものも含め、感染症への対策として、多くの人々がマスクを着用している。マスクは、咳やくしゃみによる飛沫及びそれらに含まれるウイルス等病原体の飛散を防ぐ効果が高いとされている一方、感染防止にはあまり役立たないといわれる。とはいえ、着用の仕方が正しくない人が多い、マスクを長期間着用することで推奨されている予防方法を守らなくなっていく(いわゆるモラルハザードだ)などの問題が併せて指摘されている。そうであれば、これはまさにマスク着用のやり方(manner)の問題であり、また他人への気遣い(manner)の問題であるということになる。

「ワクチン接種への躊躇」は「世界的な健康に対する脅威」

 つまり、感染症の広がりを少しでも抑えるために、私たちの「マナー」向上が求められているということだ。そうであれば、今こそマナー講師の皆さんの出番ではないか。発信力のあるマナー講師の皆さんが、医療専門家の適切な指導を受けたうえで(この領域はビール瓶の持ち方と違って、間違ったやり方には実害がある)、より身近でわかりやすい言葉で、正しいマスクの着用方法や手洗いなど、感染症リスクを減らすやり方(マナー)を強力に発信していくことは、公衆衛生の向上に効果があるかもしれない。
 もちろん、ただマスクをすればいいという簡単な話ではない。厚生労働省は、インフルエンザの予防方法として次の5つを推奨している。どれかひとつをやればいいというのではなく、すべてを組み合わせることが必要だ。当然、マナー講師の皆さんは、これらも併せて「マナー」として強力に推進していただきたい。
1) 流行前のワクチン接種
2) 外出後の手洗い等
3) 適度な湿度の保持
4) 十分な休養とバランスのとれた栄養摂取
5) 人混みや繁華街への外出を控える
 この中にマスク着用は入っていないが、マスクについては、「インフルエンザにかかったかもしれない」ときの対策として「咳やくしゃみが出るときはできるだけ不織布製マスクをすること」があって、むしろ咳やくしゃみによる他者への感染リスクを少しでも減らすための補完的な対策という位置づけであろう。とはいえ、正しい方法で着用すればまったく効果がないということもなかろうし、後述のように、外から見えるメッセージにもなる。
 1)のワクチンに関しては、一部の人々にみられる「ワクチン接種への躊躇」が、気候変動やHIVと並んで、WHO(世界保健機関)による2019年版「世界的な健康に対する脅威」トップ10のひとつに選ばれているという事実を付記しておこう。ワクチン接種者が増えれば、その社会全体の感染症リスクを抑えることができる。いわゆる集団免疫だが、ワクチン忌避の人がたくさんいれば、効果は薄れてしまう。単なる個人の選択問題ではなく、社会に対する配慮や思いやりの問題でもあるのだ。その意味で、現代社会においてワクチン忌避は重大なマナー違反であるといえる。
当然、これは個人にとってだけ意味のあるマナーではない。感染症の広がりは企業にとってもリスクなのだから、これはビジネスマナーとしても意味がある。特に従業員の感染症への対処は、企業のリスクマネジメントとして重要なポイントだろう。感染症の広がりによって事業遂行に支障をきたしたり、大事な顧客を感染症リスクにさらしてしまったりするような企業がビジネスの相手として信用できるか、という話だ。

接客業従事者はマスクを

 2019年12月、小売り大手のイオンは食品加工担当者など、一部を除いた従業員に向けて、接客時におけるマスク着用は原則禁止するという新方針を打ち出した。顧客にとって表情がわかりにくく円滑なコミュニケーションの妨げになる、風邪や体調不良のイメージを持たれ不安を抱かれる、などを理由として挙げている。
 そもそも体調不良の従業員には接客をさせないという前提ではあろうが、感染予防のためマスクをしたいという従業員に着用を禁じるのは労働条件としてどうかと思うし、逆に従業員がマスクをしているほうが安心できるという顧客もいるだろう。
 実際、1月27日になって、東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドは、東京ディズニーランド、東京ディズニーシーの両パークで、希望する従業員に対し、マスクの着用を認めると明らかにした。新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大を受けた措置であるという。企業側、顧客側ともに、意見が割れているようだ。
 そうであれば、ここでもマナー講師の皆さんの活躍が期待される。社会が全体として、接客時のマスク着用を当然のものとして受け入れるようになれば、感染症のリスクも多少なりと減少することとなろう。
 最も有効な対策がワクチン接種や手洗いであるとしても、これらは実際の接客時に見えるものではない。しかし、マスク着用は一見してわかる。潜伏期間にも感染力があることを考えれば、接客にあたる全員がマスクをしていてもおかしくはない。感染症抑止に対する総合的な対策をとっている企業の姿勢を象徴的に示すのが接客時のマスクであるとの理解が広がれば、むしろ安心の印ともなるかもしれない。
 前掲のヴィクトリア女王の都市伝説でもうひとつ、重要なポイントがある。それは、マナーを変えることができるのは、それを真に理解し体現できる者だけであるということだ。女王がその晩餐会で自らテーブルマナーを破ることができたのは、主催者であり、かつその場で最も地位が高いからだ。一般の社会においては、マナーを熟知し、それを指導する立場にあるマナー講師の皆さんに、現代の「正しいマナー」として、感染症対策に有効なマナーを広めていただきたいのだ。
 くりかえすが、これらはビール瓶の持ち方やコートの脱ぎ方よりはるかに重要かつ役に立つマナーだ。こうしたマナーであれば、マナー講師の皆さんの発信が炎上するリスクも大幅に減るのではないかと思う。

2020年2月4日火曜日

精神科訪問看護の観点から見る児童虐待

「母親失格」と責めれば孤立を招く。精神科訪問看護の観点から見る児童虐待

 悲惨な児童虐待事件が報じられる度に、親を責める大きな声が響く。「なぜ」暴力を振るってしまうのかや、「どうすれば」防ぐことができるのかよりも、残忍な事件を起こした親への憎悪がネットを埋め尽くす。
 しかし一人の加害親を断罪したところで、別の被害者は救われない。暴力や暴言、養育放棄といった行為が許されないことは確かだが、すでに発生している虐待をいかに止めるか、周囲の関わり方が重要になってくる。
 「訪問看護ステーションみのり」総括所長を務める精神科認定看護師・小瀬古伸幸さんが、精神疾患患者を“病院以外の場所”で支援する人々へ向けて書いた『精神疾患をもつ人を、病院でないところで支援するときにまず読む本 “横綱級”困難ケースにしないためのワザと型』(医学書院)には、「子どもを虐待してしまうが、その自覚がない人への対応技」という項目がある。
 そこでは解離性障害を患うシングル親が、我が子を虐待している事例を扱っている。もちろんそれは個別の一例に過ぎず、また「精神疾患患者は虐待をする」などという偏見に繋げることは言語道断だ。しかし看護や支援の専門職でなくとも、ここに紹介された事例から学べることは多い。以下、要約の形でDさんのケースを紹介させていただく。
 解離性障害を患う20代女性(Dさん)は、もともと気分の浮き沈みが激しく、10代後半から20代前半にかけて結婚と離婚を2回経験している。二人目の夫からDVを受け、その頃から解離性障害の症状が現れ精神科を受診。自傷癖がある。
 あるとき我が子を風呂に沈めようとし、子どもは児童相談所に一時保護された。女性は我が子に危険なことをしたという自覚がなかった。
 その後、女性は体調が不安定ながらも子育てを頑張っていた。子どもの夕食は必ず作る、子どもと歌を歌ったり遊んだりする時間を取っている、子どもをほめてぎゅっと抱きしめるなど積極的な愛情表現をする……など、訪問看護では女性が「子育てで工夫していること」を共有し、親としての役割を意識できるようにした。
 しかし彼女は夜間に一人で考え事をする時間が増え、母親としての自分の資質に否定的な考えが強くなり、眠れずに生活リズムが乱れ、体調を崩す。すると夕食が作れないことを同居していた父親(子どもの祖父)に責められて口論になり、女性は恋愛に依存する。彼氏との交際がうまくいかないと、ますます不安定になる。最終的には三度目の結婚をし、子どもを父に託して家を出て行った。が、のちに離婚して家に戻り、改めて訪問看護を受けているという。
 どうだろうか。「身勝手」「母親失格」「女を捨てられなかったのか」と、責めたくなる人もいるかもしれない。しかし治療の必要な状態であり、しかも一朝一夕で治る簡単なものではない以上、「強い意志」や「忍耐」、また「母親の覚悟」「愛情」で乗り越えるべきなどと軽々しく精神論を押し付けることもできないはずだ。
 小瀬古伸幸さんは、虐待の加害親を断罪するのではなく、その人の持つ背景を理解しながら“一緒に解決策を探っていく”ことの重要性を説いている。その手法について詳しく話を伺った。
小瀬古伸幸
2005年、看護師免許取得後、財団法人信貴山病院ハートランドしぎさん入職。2012年、精神科認定看護師取得。2014年、訪問看護ステーションみのり入職。同年、WRAPファシリテーターを取得。2016年、訪問看護ステーションみのり奈良を開設し所長として勤務。2018年、NPO法人日本医療福祉事業団の副理事長を兼任。2019年より訪問看護ステーションみのりにて統括所長へ就任し現在に至る。精神医療分野における在宅医療の実践はもちろん、多数の執筆、研究実績あり。著書として「精神疾患をもつ人を、病院でない所で支援するときにまず読む本(医学書院)」がある。

精神疾患を持つ親の虐待は決して多くはない

――最初にお伺いしたいのですが、「精神科訪問看護」って何ですか?
小瀬古:「精神科訪問看護」では、精神疾患のある人の自宅に看護師が伺い、看護を実施します。対象となるのは、精神科の病院やクリニックに通院していて、そのうえで、主治医から「精神訪問看護指示書」が出ている方です。訪問頻度は患者さんによって異なります。
私たちの考える精神科訪問看護は、「今」を共有し、積み重ねる中で、生活の中での具体的な対処方法(本人の工夫)を明らかにし、次回は意識して使えるように関わります。日々の生活の中で本人を主体とした、自己決定の過程を大切にしており、過程と結果を共有することによる一連の流れにおいて、その人のより良い生活につながるサポートをしています。
――本の中では精神科訪問看護の利用者さんたちの中でも、より対応が困難な「横綱級ケースが」紹介されていますが、「横綱級ケース」の人たちは「エネルギー水準が高い」との説明があり、驚かされました。
小瀬古:そうですね。実際には色々なタイプの利用者さんがいて、指示通りに治療を受けて経過の良い人や、症状をコントロールして社会復帰する人もいます。そういった方の場合、私たちが看護する中でもさほど困難さを感じず、「横綱級ケース」には当てはまらないですね。
今回の本で紹介している「横綱級ケース」は、支援する立場の私たちがかなり手を焼き、「もうどうしていったらいいんだろう」「どう支えていけばいいか、糸口が見えない」と途方に暮れてしまうようなケースです。ご家族から「色々な支援も受けてきたが、どうにもこうにも難しくて……」と伝えられることもあります。
「横綱級ケース」の多くは、本人に「何とかしたい」という思いが強く、エネルギー水準が高いので、本人のこだわりや症状から出てくる行動に対して、支援者が「こうしましょう」と指示しているだけでは、うまくいきません。パターナリズム的に「あなたはこうだからこうしましょう」「このお薬出しておくから飲んでくださいね」と言われるのを「はい、わかりました」と受け入れ、言われた通りに療養し、良くなっていくというイメージではないですね。
「薬を飲んだらしんどくなる」と言って処方された薬を飲まなかったり、医師から休むように言われ休養していても「自分は休んでいてもイライラするんだ」と訴えてきたり、支援者の発言に対して「何でそういうこと言われなきゃいけないの?」「あなたたちもっとちゃんと私を良くしなさいよ」と食って掛かる人もいます。
一見“クレーマー”のようにも見えますよね。しかし、精神疾患を抱える人の場合、実はその人自身の症状が関係していたり、あるいは本人の「今の状況を何とかしたい」「苦しみをわかってほしい」という思いが高じての要求であることが多いです。もちろん、中には理にかなわないことを言う人もいますが、本人が言いたいことの一番のポイントは「生活面で支障が出ている症状や苦しみをどうにかしたい」という点にあります。
そういう人たちは気分の波が激しく、しかも強烈な言葉を使うので、支援者側は目の前の本人の言葉だけに振り回され、一般的なクレーマーの心理と混同して右往左往した結果、支援者が本人の要求に応える形で「代理行為」をしてしまうことが起こります。
たとえば、処方せんを自分で取りに行けるはずの人が「行けない」と言う。そういう時は、なぜ自分で取りに行けないのか、本人の症状などをきちんと精査していく必要がありますが、支援者が「あなたがそんなにしんどいのであれば、私が引き受けましょう」と、代わりに薬局に行き処方せんを渡して薬を受け取ってしまう。ケアや支援をする「訪問看護」ではなく、単なる「代行サービス」なってしまうわけです。
このような代理行為を支援者がサービスのようにやってしまうと、やがて利用者さんの要求がエスカレートしていきます。ついには支援者側も「そこまではできません」となり、本人は「何でダメなんだ」と怒ってしまい、ますます対応が困難になり、支援が立ち行かなくなります。そこで本の中では、より困難な「横綱級ケース」を招いていかないためのさまざまな対応技を紹介しました。
――子どもへの虐待発覚がきっかけで精神科訪問看護を受けるようになったシングルマザーの事例も登場しますよね。彼女のストーリーを表面的に見ると、若くして二度離婚しリストカットや大量服薬などがあり恋愛対象の男性に依存しやすい「母親」です。「悪い母親」と糾弾する人もいるかもしれません。しかし彼女は「横綱級ケース」であり、支援が必要な存在です。
本書では<困難と感じるケースのひとつ>として虐待が発生しているケースを取り上げているわけですが、本来なら支援の対象であるにもかかわらず見落とされている親というのは、虐待問題の背景にどのくらい潜んでいるのでしょうか。
小瀬古:児童虐待をしている親の精神疾患の割合を示す全国調査データは私自身、確認したことはありませんが、精神科訪問看護をしている僕から見て、精神疾患をもっているからといって、子どもへの虐待リスクが高いという印象はありません。
私が勤務する「訪問看護ステーションみのり」は大阪・東京・横浜・奈良にあり、約600人の利用者さんがいますが、「虐待リスクが高い」人はそのうちの1割もいないのです。
ですから、当然「子どもを虐待する親はみんな精神疾患がある」「精神疾患を持つ親は虐待リスクが高い」と結び付けられるものではありません。

恋愛を禁止するのではなく、育児とのバランスを考える

――本書では、<加害をしている本人に「虐待した」という認識はまずありません(中略)本人自身は虐待と思わずに行動していることが多いです。まずはこの視点に立つ必要があります>と書かれていました。
小瀬古:もともと「児童虐待の知識」を持っていないケースが多い印象です。どういう行為が虐待なのかを知る機会が少なく、「殴る」「蹴る」「煙草の火を押し付ける」といった暴行は虐待であるとわかっていても、「1日中オムツを替えない」「汚れた服を何日も着せておく」といった育児放棄や、人格を否定するような暴言が虐待であるという認識が薄いこともあります。
――病気の症状がつらく、育児放棄の状態にならざるを得ない方もいるのでしょうか。
小瀬古:抑うつ症状といった精神症状がひどく、自分の食事もままならない、赤ちゃんのミルクを作る気力もない、という状況に陥るケースもあります。
パートナーや両親などがフォローできる場合は、通院や訪問看護を受けながら育児をしていくこともできますが、シングルマザーでSOSをどこに出せばいいのかわからない人の中には、きちんと育児をやっていきたい思いはありながらも精神症状によって、結果的に育児がままならない状態になっている人も隠れていると思われます。
――そのような利用者さんたちに、精神科訪問看護ではどのようなケアやサポートをされているのでしょうか?
小瀬古:まず、本人が現状をどのように捉えているのかを確認します。その後、本人と客観的に起きたことを共有し、「今後同じことを起こさないためにはどうすればよいのか」を一緒に考えていきます。
虐待の背景に精神症状が絡んでいる場合は、病をいきなり消すことは難しいので「症状と付き合いながら、どんなふうに乗り越えていくか」を考えることが大切です。
たとえば“気分の浮き沈み”が激しいのであれば、これまでのエピソードからどんな時に波が上がったり下がったりするのかを共有し、“上がっていく波”や“下がっていく波”の前兆を捉えられるよう、共有していきます。
症状と付き合いながらも1日1日を乗り越えることが本人の安定につながり、1年経ち2年経ち……そして、子どもの成長もまた、モチベーションや自信に繋がります。
――本書で紹介されたDさんは順調な時期もあったものの、父親との衝突から逃げるような形で新しい恋愛に依存していました。そのような傾向がある患者さんは、どのように治療を進めるのでしょうか。
小瀬古:Dさんのように過去の経験から、男性とのお付き合いが短く、極端な行動が考えられる場合は、「恋愛にすごくハマった経験の有無」を聞くようにしています。そして、そういった傾向がある場合は、子育てと恋愛を両立できる方法を探っていきます。
支援者によっては「あなたには子育てがあるのだから、恋愛はダメです」と言う方もいますが、そのようなことを上から目線で言われると、利用者さんは「どうしてそんなこと言われなきゃいけないの」「私の人生でしょ」と反発したくなりますし、隠れて恋人のところへ行き、子どもを置き去りにしてしまうリスクもあります。
恋愛に制限をかけるのではなく、子育てとのバランスを利用者さんと一緒に考えていく姿勢が大事だと考えています。   
――訪問看護の支援により、重い症状から回復され、症状とうまく付き合いながら子どもを育てることの出来ている利用者さんたちは大勢いらっしゃると思います。なかなか一概に言えることではないと思いますが、うまくいくケースに共通点はありますか。
小瀬古:周りに相談できる人がいるなど周囲と繋がりを持っている人や、医療や行政などに自らサポートを求めていける人は、症状と付き合いながら育児をできる傾向にあると思います。
逆に孤立化し、助けを求める力が弱まっていると、虐待やDV、自殺のリスクが高まります。そういった意味で、色々な“窓口”との繋がりを持っておくことが重要ですので、病院や役所だけでなく、友人やS N Sなども含め、関われるところを複数持っておいてほしいです。
――孤立しない、複数の関わり先を持つ。これは精神疾患にかかわらず、核家族が一般的な現代社会ですべての子育て家庭にとって同様に大事なことですね。最後に、もし近所で虐待の疑いがあると気づいた時、どのような心構えで接すればいいでしょうか。
小瀬古:まず大前提として、虐待は絶対に許されないことですよね。何かあってからでは遅いので、虐待を“疑い”の段階でも発見した場合は、匿名でもいいので「児童相談所全国共通ダイヤル189(いちはやく)」に連絡してください。子どもの安全が第一ですし、虐待を早い段階で阻止できれば、親も子どもを失わずにすみます。
しかし、子どもを虐待したりネグレクト傾向にある親御さんに対して周囲が責めたり、説教したりすることは逆効果です。責められることで反発する親御さんも多く、次第に周囲と疎遠になり、孤立を招きます。
親御さん自身も虐待を「いい」とは思っていません。いっぱいいっぱいの状況で、虐待をせざるを得ない状態という理解が必要です。そのような状況であることを踏まえながら、本当はどんな子育てをして、子どもとどんな関係性でいたのか、といった本人の希望を聞き、「一緒にやれることを考えよう」というスタンスでサポートすることが必要だと考えます。


2020年2月3日月曜日

恵方巻きの廃棄ロス問題

恵方巻きの廃棄ロス問題でついに国が動く事態にまで発展


2月3日は節分の日と言う事で豆まきの他、恵方巻きを食べるご家庭も多いのではないかと思います。しかし毎年問題となるのが、恵方巻きの大量廃棄です。購入されず、大量にゴミとなっていく恵方巻きの姿がツイッター上で拡散され、食べ物がもったいないと社会問題化する事態にもなっています。そんな中、恵方巻きの食品ロスを減らすべく、なんと国が動いたのです。

食品ロス削減の為、恵方巻きは予約制へ


兵庫県内のスーパーなど小売り各社は、売れ残り分などの廃棄量を減らす取り組みを強化している。予約販売に力を入れ、当日の製造量を抑えたり、食べ切りやすい半分サイズを増やしたりしている。
引用 https://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/202002/0013083634.shtml
食品ロスを減らすため小売店各社が、予約販売を増やすなど様々な取り組みをしている様子を、ひょうご経済プラスが伝えました。
かつてネット上では、「2月3日は余った恵方巻き処分デー」「恵方巻きをゴミ箱に捨てる日」などと揶揄されていましたが、この由々しき事態についに国が動いたのです。

農林水産省が恵方巻きの食品ロスを呼びかけ


農林水産省は、食品ロス削減推進法を踏まえて、予約販売等の季節食品の需要に見合った販売を食品小売業者に呼びかけています。
この中で、令和2年の恵方巻きシーズンにおいて、ロス削減プロジェクトに参画する食品小売業者(26事業者)を公表しました。
引用 https://www.maff.go.jp/j/press/shokusan/kankyoi/200117.html
「恵方巻きのロス削減プロジェクト」として、季節食品のロス削減を農林水産省が呼びかけたところ、26社が参画した事が農林水産省のHPで発表されました。
各小売店やローソンやファミリーマートなどのコンビニ、そして

その時代に生きた人々の息づかいが感じられる写真集に

1985年~1986年の大阪で撮影された1000枚超ものモノクロ写真が一挙公開、その時代に生きた人々の息づかいが感じられる写真集に 2020年2月8日、 kouichi morimoto さんが1985年から1986年ごろに大阪で撮影した1000枚もの写真を、写...