「貿易戦争」という言葉をニュースでよく目にする。国と国との間に起こる貿易問題を戦争にたとえた表現だ。
国家間の貿易問題には「貿易摩擦」という言葉も使われる。貿易戦争はさらに事態がエスカレートし、国と国が互いに武器で攻撃し合っているイメージが加わる。
武器に当たるのは、相手国からの輸入品にかける関税だ。
関税がもともとの値段に上乗せされるから、その分、輸入品の値段が高くなり、国産品との競争が不利になる。政府は相手国の製品に対する関税を引き上げたり、それまで関税の対象外だった製品を新たに対象に加えたりすることで、輸入品の競争力を落とし、国産品の競争力を相対的に高めることができるわけだ。
「米中貿易戦争で勝つのはどちらか?」という間違った問い
今注目されているのは、米国と中国の間に起こっている米中貿易戦争だ。
経緯を振り返ると、最初に仕掛けたのは米国だった。米国のトランプ大統領は2018年3月、中国を含む海外製の鉄鋼製品を対象に25%の関税をかける措置を発表した。さらにロボットや半導体、家具、家電などさまざまな製品に関税をかける。
中国も黙ってはいない。米国から買っていた大豆、牛肉、自動車などに関税をかけて報復に出る。これに対し米国がさらに報復し事態がエスカレート。対立は2019年に入っても続いた。12月、両国の貿易交渉で一定の合意に達したことから報復合戦は一時休止しているものの、なお火種はくすぶっている。
さて、貿易問題をめぐる米中の対立は、米中貿易戦争としてマスコミで大きく取り上げられている。たしかに両国が互いに関税措置を発動し、報復し合う姿は戦争を連想させる。
しかし忘れてならないのは、それは表面上、似ているにすぎないということだ。戦争という言葉に引きずられると、貿易問題の本質が見えなくなり、的外れな議論をしてしまうことになる。
典型的な誤りは、「米中貿易戦争で勝つのはどちらか?」といった内容の議論だ。本物の戦争なら、勝ち負けを判定することはできる。けれども貿易上の「戦争」の場合、それができるだろうか。
前述のように、政府は関税をかけることで、輸入品の値段を押し上げ、価格競争を不利にすることができる。けれどもそれは、輸入品を買いたい消費者からすれば、うれしくない話だ。
関税の悪影響を受けるのは消費者だけではない
たとえば、米国政府が中国製の家電に感税をかけた場合、消費者は関税分だけ高いお金を払って中国製品を買うか、中国製品はあきらめて国産品を買うなどの選択を強いられる。いずれにしても、消費者は関税がかからない場合に比べ、より多くの出費が必要になり、その分、貧しくなる。
関税の対象になるのは、家電のように消費者が直接利用する最終製品だけではない。原料や半製品も対象になる。たとえば鉄鋼だ。
米国政府が中国製鉄鋼に関税をかけると、米国の鉄鋼メーカーは競争が有利になるが、その一方で、中国製鉄鋼を原料として使っている米国の製造業は生産コストが上昇する。それはやがて製品価格に上乗せされ、暮らしを圧迫していく。割を食うのは結局、消費者だ。関税の悪影響を受けるのは消費者だけではない。
今述べたように、外国製の半製品や加工品を使う製造業は生産コストの上昇にさらされる。それに対応するため、従業員数の削減などリストラを迫られるかもしれない。融資を受けている銀行から、事業の基盤が揺らいだと判断されて融資を絞られ、経営が厳しくなるかもしれない。国全体の経済悪化にもつながりかねない。
事実、米国の中央銀行に当たる連邦準備理事会(FRB)は2019年7〜10月にかけ、3回連続で主要政策金利を引き下げた。米中貿易摩擦の影響で米景気に失速する恐れがあると判断したためだ。
犠牲となるのはアメリカ国民
トランプ大統領率いる米国が中国に対して仕掛けた貿易戦争で犠牲となるのは、中国よりも、米国の一般市民である。貿易戦争の標的は一見、相手国のようだが、実際は自国民なのだ。
これは経済学の基本知識さえあれば、理解できることだ。でもそれならなぜ、トランプ政権は自国民を犠牲にするような貿易戦争をあえて仕掛けるのだろう。トランプ大統領自身に経済学の知識がなくても、周囲には専門家がいくらでもいるはずだ。
その理由は、政府が経済的な道理ではなく、政治的な事情によって動くことにある。
トランプ政権内にはウィルバー・ロス商務長官をはじめ、鉄鋼業界に関わりの深い人物が多く存在する。このことが示すように、鉄鋼業界は重要な支持基盤の一つだ。たとえ一般消費者が不利益を受けようと、中国製鉄鋼に関税をかけて国内鉄鋼業界の利益を保護することのほうが、政治的には重要なのだ。残念ながら、それが政治の現実というものである。
中国の補助金は、米国の消費者に対する贈り物
トランプ政権は、中国製品の関税引き上げの理由のひとつとして、中国政府が企業に過剰な補助金を支給していることをあげ、輸出競争力を不当に強めていると批判する。だが、これも米国の消費者の立場になってみれば、目くじらを立てる話ではない。
たしかに、中国製品の値段が補助金のおかげで安くなれば、米国の鉄鋼業界は競争が不利になるかもしれない。しかしその一方、中国製の鉄鋼を原料として使う他の製造業は生産コストが安くなり、製品価格を下げることができる。消費者はその恩恵に浴する。つまり中国の補助金は、米国の消費者に対する贈り物と同じである。
トランプ政権が一般消費者のためを思うなら、補助金は中国に戦争を仕掛ける理由になるどころか、感謝してもいいくらいだ。
もしトランプ政権が中国の経済力を弱めたいと考えているのであれば、中国政府に補助金をやめさせるのではなく、むしろ続けさせたほうがよい。なぜなら補助金とは、自力で存続できない非効率な企業を延命させる手段だからだ。補助金のせいで非効率な企業がゾンビのように生き続ければ、有望な産業に資本や人材が移動せず、やがて中国経済全体が停滞し、弱体化する。
経済とは突き詰めればすべて、生産者と消費者の取引である。貿易も単に国境を越えるだけで、やはり生産者と消費者の取引であり、政府は直接関係ない。ところが貿易戦争という言葉は、まるで政府が貿易の主役であるかのような誤解を招き、本質を見失った議論につながりやすい。気をつけておきたいものだ。
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